2010.02.03

今更ナンですが。

という訳で、東京ミッドタウンと目と鼻の先にあるキャバクラで撮影会に参加してて、その途中で中抜けしてミッドタウンでジャストのタイミングでAfter Schoolを見れて、撮影会に戻ったけど余韻が残りすぎてヘロヘロだったという(苦笑)。このまま帰ろうかとも思ったけど前払いしてるから最後まで残ったのが貧乏性やね。はぁ。Img_0068
正直に言えば名前しか知らなかったから、メンバーが出てきたときは(お〜生だぜYouTubeじゃないぜ〜すげ〜)くらいの感じで見てたんだけど、始まったら色んな意味でポカーン。目の前に展開される現在進行形のコリアンガールポップ最前線に圧倒され、まんま韓国スタイルで声援を送る前方4列目くらいまでの熱心な皆さんに驚く。その後方でゆるめに見てたウチらも含めて、中継カメラ&PA卓より前にいた推定200人弱くらいがアフスク目当てで見てた感じ。急な出演告知だったこと等を考えると大健闘だったと思う。そして今週末はKARA@赤坂BLITZ。追加公演含めて2000席強が既に満席という事態は何?少女時代が5月に来日(武道館クラスの会場でコンサート?)なんて話も出てきてる。ホントに始まっちゃうのかK-Pop。頓挫した多くの屍を乗り越えて、彼女ら・彼らは日本に進軍してくるのだろうか…

2009.08.02

デフリンピック台北2009の公式プロモーション映像がカッコイイ。

“聴覚障害者のオリンピック”であるデフリンピックが来月、台北市および周辺地域で行われる訳ですが。
その公式サイトのトップページから見られる()プロモーション映像が結構凝った作りになっています。

特に公式テーマソングであるA-Mei(アーメイ=張惠妹)の「聴得見的夢想(Dreams You Can Hear)」のMV。デビュー曲を彷彿とさせる先住民族のコーラスをフィーチャーした曲もさることながら、台湾代表選手が出演するシーンがいちいちカッコイイ。パラリンピックのように目に見える形でハッキリと分かる障害者とは違い、一見しただけでは健常者と変わらない彼らのプレーする姿は、コマーシャリズムの中に浸かりすぎて垢抜けてしまった感のあるオリンピック選手とは違って素朴さがあり、だからこそ「ホントはすげーんだ」という感じが伝わってくる。

もう一つ、デフリンピック台湾代表選手が台湾を代表するスポーツ選手(テコンドーの北京五輪メダリスト、世界ツアーでプレーするプロテニス選手、台湾バスケのスター選手)と共に練習しているプロモ映像もある。テコンドー以外は直接共演してはいないようだが、国際社会における台湾の立場を考え合わせれば、先月高雄市で開催されたワールドゲームズと合わせて台湾を世界にアピールする重要な機会であると考えていることが分かる。(同時に、北京五輪の翌年に五輪に次ぐ規模の国際的スポーツ大会が台湾で開催されると言うことは、国際社会が台湾を無視していない・できないというメッセージでもあると考えることもできる)

日本のメディアでは殆ど取り上げられないであろう、デフリンピックだが、日本代表はもちろん、台湾という「国」の立場とも併せて注目してもらえれば、と思う。

…因みに、ワールドゲームズ秋田2001の公式テーマ曲を森川美穂が歌っていたことはご存じですか?

2009.03.24

送辞〜「アジアポップスウインド」終了に寄せて

さっき、最終回の再放送が終わりました。
実に11年に渡ってアジア各地のポップスを伝えてくれた“NHK-FMの良心”のような(つーか、とてもマーケティングベースでは成立しえない)番組が、静かにその幕を下ろしました。

まぁ、毎週欠かさず聞いてた熱心なリスナーという訳でもありませんでしたから、この番組について熱く語る資格は本来ないのですが、それでも少なからずこの番組から影響されたものはあるので、仮眠前にいくらかでも書き留めておきたいと思います。

思い返せば、この番組が始まった当時は、90年代前半の“アジアンポップスバブル”が弾けて、香港の四大天王クラスでさえ国内盤のCD発売が滞った時期。それでもDJ関谷元子さんが編集長だった雑誌「Pop Asia」はまだまだ健在で、当時盛岡在住だった自分には大切な情報源だったことを記憶しています。台湾・香港・韓国だけでなく、アジア各地のポップミュージックについて幅広く取り上げてくれたこの番組や雑誌のおかげで「世界中どこにもその国の言葉のポップスが存在する」という当たり前の、でもひょっとしたら今の日本人は殆ど理解していないかもしれないことに気付かせてくれました。渋谷や新宿のタワーレコードではイレギュラーサイズの輸入盤CDが棚を彩り、ジャケ買いどころかパッケージング買い?に走ることもありましたっけ。
沈滞していた日本のアイドルシーンが雛形あきこや広末涼子あたりをキッカケに持ち直し始めると共にアジアンポップスに対する感度は低下していったのは否めませんが、そんな中でもたまには番組を聞いたり、なぜか伍佰&China Blueと蘇慧倫の新作は欠かさず買っていたり、友人がm-net@スカパーをVHSに丸録りしてくれて、それをキッカケにClick-BやRollerCoasterやPAPAYAを気に入ったりしてたので、興味そのものを失うことはありませんでした。

僕が盛岡の会社を解雇され、万策尽きて首都圏に戻ってきたのと時期を同じくして「冬ソナ」をトリガーにいわゆる韓流ブームが起きます。これでようやく日本でもアジアのエンターテインメントに対して免疫ができるのかな、興味が持たれるようになるのかなと期待しました。結果は…ご覧の通りです。「流星花園」から始まった華流ムーブメントも含めて、特定の年齢層の女性がハマるモノという世間的イメージが形成され、BoAや東方神起のようにJ-Popアーティストとしてカスタマイズしなければ日本では広く受け入れられないという悪しき成功例を生みました。そしてインターネット環境の進化が「必要な情報は自分で探す」「分かる人だけ盛り上がればいい」という風潮に拍車をかけていきます。そういう世間の流れの中で、休刊となった「Pop Asia」の志も引き継ぎつつ番組は存続していました。相変わらず数カ月に一度思い出したように聞く程度でしたが、それでも東南アジアのポップスに感心したり、張震嶽のインタビューに唸ったり、少女時代との出会いがあったりした訳です。それがラジオなりメディアのもたらす大きな効果であり、役目でもある筈ですが…

そんなこんなの僕と「アジアポップスウインド」との日々でした。
こんな薄々リスナーが言うのもどうかとは思いますが、やっぱり3カ月に一度くらいのスペシャルプログラムとしては存続してほしいなぁと呑気に思ったりもするのです。聞けるかどうかも分からないクセに(苦笑)でもやっぱり、日本の電波で「叫姊姊」とか流れたら面白いよなぁ、とか思うから。

2009.03.14

今更、盧廣仲。

ここ数日のマイブームです。

3月いっぱいで『アジアポップスウインド』が終わってしまうので、せめて最後の月くらいはできるだけ聞こうと思ってるんですが、ちょうど9日夜(再放送10日朝)が台湾特集で、そこで最後にかかったのがこれ(埋め込み面倒なのでリンクでスマソ)

…やぁ〜、良いね。このモロ宅男(ヲタ男子)な風体で、TV番組の出演時はいつもニコニコというか挙動不審(をい)なんだけど、これが歌い出すと「おぉ〜」っと唸らずにはいられないというね。個人的にこのアルバムは昨年のベストだったりします。確かにハナレグミっぽいと言われればそうだけど、肝心なそっちをよく知らない(しかも中国語殆ど分からないという)全くもってな日本人ですスイマセン。

ただ、パクってるとかそういうことじゃないとは思う。

それより強く感じたのはやはり台湾ミュージックシーンの懐の深さ・振り幅の広さであり、翻ってJ-Popシーンの薄っぺらさであり、更に翻って日本に於ける韓流・華流シーンの貧しさだったりもして。かつて張震嶽APW番組内のインタビューで台湾ミュージックシーンの現状を憂いていたけれど、そんな台湾にさえ日本は(少なくともシーンのレンジの広さでは)負けてるというのが何とも…個人的には平井堅にカヴァーしてほしい。意外と?フィットするような気がするんだ。

とりあえず(アジア輸入モノでは日本国内たぶん最強な)HMVの通販にリンクしときます。あと、本人のブログもあります

因みにアルバムの曲目にある「無敵鐡金剛」というのは「マジンガーZ」のことらしい。

2008.07.25

こんなモノを作ってみた。

こんなモノを買ってしまいまして。

Ds10_1 Ds10_3 Ds10_2

何かと言うと、往年のアナログシンセの名機・コルグMS-10をNintendo DS上で再現したというマニアックなソフト。加えてエフェクターやシーケンサーやKAOSS PADモードまで搭載し、これ1台で曲っぽいモノが何となくできてしまう?という代物。開発にはコルグは勿論“4人目のYMO”松武秀樹氏まで担ぎ出す気合いの入れよう。音源自体はモノ(単音)シンセ2台+リズム4音というショボさではあるが、そこがまた「極めてやろーぢゃねーか」的欲求に火をつけたりもする訳で、参ったねどーも。予約して4カ月、忘れた頃にやってきまして、たまたま会社が休みだったんで説明書見ながらデモを呼び出してあれこれいじってるうちに…あら、ホントに1曲できちゃいました。これ。仮称「Dark_March」
で、せっかくだからiMacに取り込もうと思ったらミニプラグ←→ミニプラグのコードがない!ことに気付いてヨドバシAkibaに向かう途中のつくばエクスプレス車内でもあれこれいじって、いっちょまえに(どうしてもクラブっぽい音になりがちだから、なんかメジャーな明るい感じのがほしいなぁ)なんて考えながら1曲…というか1パターン考えて、で、コードやらDS用ケースやら買った(なんでだろ。持ってるのに)帰りのTX車内でそのパターンをさらにいじってこんな感じに。仮称「Kira-Kira-Loop(Pattern16)」

とりあえず、Amazon限定販売というのが引っかかるものの、テキトーにいじってるだけで予想以上にそれらしいモノが作れる(あくまでも「らしい」のがミソだったりする、気がする)し、パラメータを変な方向にいじったときの取り返しのつかなさとかも含めて非常に面白かった。最大8人でプレイすることも可能らしいので、mixiのDS-10コミュでオフ会とかあったらぜひ参加したいところである。

2006.04.17

世界中が疲れている…のか?

金曜日の『A'll that RADIO』でDaniel Powter「bad day」をかけた後に赤坂泰彦氏が言ってたんだけど、ビルボードのシングルチャートで3週連続1位になったそうで。なんかすげーな。台湾のHIT FMでも「bad day」のCM流れてたし(^^)
2カ月前には知るキッカケさえなかったこの曲、そして
実は昨年ヨーロッパ各国で大ヒットして、アメリカでも有名オーディション番組『アメリカン・アイドル』のエンディングテーマに使用されたりしてたんですね。全く耳にすることがなかったというのはどういうことなのか。いくらここ数年“洋楽不振”だからとはいえ…

「bad day」の邦題「バッド・デイ〜ついてない日の応援歌」はいくらなんでも…とも思うのだが、彼の歌の(トータルの)世界観を説明するのには格好のタイトルであることも間違いない事実。それにしても、世界中で彼の歌がウケるということは、翻って世界中が同じ悩みを抱えているということでもある。何と言えばいいのか…“報われない感”みたいな?そういう虚しい感覚がグローバルに広がっているのではないか。そんな気になる。

彼、来日してたんですね。『TOKIO HOT100』のエンディングを偶然iPodで聞いて新大久保駅前でボーゼンとしてました…番組サイト内にインタビュー掲載有。「bad day」生で歌ったんだと!

2004.11.13

ゴスペラーズファンは「ゴスヲタ」とでも呼ばれたいのか

あるメーリングリストに掲載された一文。
僕も薄々ながら(CD持ってないんで…)ゴスペラーズファンではあるので非常に気になったのですが、ご自身のBLOGにほぼ同一の文章を書かれていたので、リンク&トラックバックをかけときます。

気になったもう一つの理由は、類似の内容の文章を『週刊金曜日』でも見たからです。(それにしても“ウソ発見誌”とは大きく出たな。アンタんとこや『サピオ』を鵜呑みにするよーな人が一番あぶねーと思うんですがね)なんでも先日の「ジョン・レノン・スーパーライブ」でも同様の行動を取る輩がいたそうで。で、ゴスペラーズ自体にも“ヘタ、聴いてらんない”と一刀両断気取りだったんですがこれはお約束か。こーゆー人を拉致ってハロコンの最前列に縛りつけてみたいモンだ。泡吹いて死ぬか目ぇ潤ませながら「りしゃこぉ〜」とか叫んで気失うか(それにしても、なぜ、りしゃこ)

…閑話休題。

この一連の話を見て一番残念だったのは、少なくとも日本ではトップレベルのコーラスグループであるゴスペラーズのファンが、ある意味ジャニヲタ・ハロヲタ的なアクションを取ってたのが明らかになっちゃったということです。そりゃハロヲタにも空気読めないバカはいっぱいいますけど、一応“音楽性で勝負してる”グループでしょゴスペラーズって。ましてアジア各国でも人気のあるグループだし(調べたわ。台湾名「聖堂教父」、自分の記憶が正しければ昔HIT FM)の“Fresh Release”ジングルも期間限定でやってた筈)。そういう縁を感じてくれての今回の「ポップアジア」出演だったと思うのですが、そういうグループのファンが他のジャンルの音楽を受け付けない態度を取ったというのがなんとも残念で。

で、「ゴスヲタ」という訳です。

さぁ、文句があるならきてみろ。

2004.10.02

姫神=星吉昭さん死去(リンク先:岩手日報)

まだ58歳だったんだ…早すぎる…

岩手にIターンする以前、自分の中での「岩手」のイメージの一つが姫神だった。
『ザ・ベストテン』でネット各局のチャート紹介があった頃。ちょうど「奥の細道」がIBCのチャートで1位で、盛岡駅の構内でもかかってるとか紹介されて、最後にメンバーが出てきて「よろしくお願いしますっ!!」って頭を下げるという、今思えばワケワカな光景。それが初めて星さんを見たとき。まだ4人組の「姫神せんせいしょん」だった。
その後、貸レコード屋でアルバムを借りてきて、姉のオーディオでテープにダビングして。
で、割とすぐ醒めて…というか、中〜高校生の身分ではやっぱりYMOに流れちゃう訳で、さすがにそこまでシブい趣味ではなかった。
やがて「姫神せんせいしょん」は「姫神」と名を変え、星さんと佐藤将展さんのユニットとなり、更に星さんの一人ユニットへと移行する。そういう変遷はなぜか知ってた気がするが、TV番組のBGMレベルでしか認識することのないまま、時間が過ぎていく。
そして、色々あって岩手に住むことになって。
コンサートは2回観た。1996年9月、小雨やまぬ小岩井農場、宮澤賢治生誕100周年記念タイアップのコンサート。翌年秋、岩手公園で行われた南部盛岡400年記念の無料コンサート。両方とも後日TVIで放送されたコンサートの模様は毛越寺や三内丸山遺跡のような風情もへったくれもないようなお寒い映像だったけど、獅子踊りやアマチュア劇団などとの共演は地元ならではの素朴なもので“岩手で姫神を生で聞く”という行為の贅沢さを満喫した記憶は鮮明に残っている。普通の公演を見る機会は残念ながらなかった。2002年9月の水沢Zホール公演は中澤裕子@Zepp Sendaiに行ってたし(とってもよいライヴだったので後悔はしてない)2003年11月の岩手県民会館公演はこっちに戻る直前でとてもコンサートを楽しめるような精神状態ではなかったのが悔やまれる。
IBCのラジソン(クリスマスのラジオチャリティーミュージックソン)のパーソナリティーや盛岡文士劇への出演など、間違いなく「名士」の一人だった星さん。東和町から世界に向かって作品を発信し続ける姿は憧れであり、岩手の誇りだった…いや、今も誇りだ。

姫神プロジェクト・オフィシャルサイトによると、この6月から「姫神」はゼネラルプロデューサー=星吉昭、出演=星吉紀(息子さん)・姫神ヴォイス・他ゲストというスタイルになったようだ。6月は星さんが入院された時期と重なるので、もしかしたら…いや、余計な詮索は無礼か。まぁ詮索してる段階で「最近の姫神の音を聞いてない」ことがバレバレなんですけど。トホホ…

無理して「姫神」を続ける必要はないと思う。ただ、星吉紀さんに「父の魂を引き継ごう」という思いがあるのなら、ぜひ続けてほしい。きっとお父さんの魂も彼に寄り添ってくれると思うし。

心よりご冥福をお祈りするとともに、心からの感謝を。