もう…いいんじゃない?
DJ OZMAのブログがあるのにも驚いたが、公式サイトまであるんだね。
まぁ何と言うか、ムダな力の入れようとしか言いようがない。
あのさ、皆、もう気付こうよ。
「DJ OZMA」という歌手は、この世に“存在”しないということを。
彼の存在は、喩えて言うなら『ハッスル』に出てくる“高田総統”のようなもの。いや、その高田総統の闘う化身=ザ・スペルマンサーザ・エスペランサーか。こんなこと書いたら高田総統&ハッスルヲタの皆様に失礼かな…じゃ、芳賀ゆいでどうだ?ちょっと古いか。我ながらなかなかの比喩だと思うのだが。
どれほど考えて練り上げたものかは知らないけれど、とにかく彼のプロフィールも、発言も、パフォーマンスも、全てが作り物であること。それを分かった上で楽しむのがそれこそ“暗黙の了解”であること。彼の変身?前の姿である「綾小路翔」も、彼が率いている(ことになっている)「氣志團」なるバンドも、その作り物具合は同じであること。それを認識していないと、結局は彼(ら)の術中にハマっておしまいである。事実、この“事件”以降、彼のCDは再び売れているそうだし。(…あ、根拠…と思ってオリコンのHPを漁ったのだが、いつの間に「You大樹」登録してないと上っ面しかなでられないような醜い場所になってたんだ!てか、この回りくどい元ネタは何よ。誰も分かんねーよぉ!)
だから、この問題について(真剣に)論じるのは、実はとてもおかしい行為なのだ。
なぜなら「DJ OZMA」という歌手はこの世にいないのだから。
彼が何を言おうとその言葉に重みはないし、真実味もないし、メッセージもない。
もし何かを感じるのであれば、それはその言葉の組合せに対してでしかない。
(…あ、氣志團もそうだね。彼らの発信する音や映像やその他諸々のエンタテインメントの魅力は、様々な場所からパクってきたものの組合せの妙がほぼ全てなのだから!)
存在しない人を相手に文句を言ったって、何にもならないことくらい分かるでしょ?
だって、受け止めてくれる人がいないんだもの!
のれんに腕押し、みたいなモンか。
そんなDJ OZMAと言えども…いや“だからこそ”、NHKの吉田豊久チーフプロデューサーに対してはエラい怒りようなのが面白い。恐らく件の吉田CPには事前に口頭レベルで“承諾”を受けていたのだろう。「何かあったら俺が責任取るから、思い切ってやりな!」くらい言われてたかもしれない。だからこそ“裏切られた感”が強すぎてあそこまで書いたんだろうね。勿論“存在しない”「DJ OZMA」だからこそ書けたことでもある。