川は、文化をつくる。
福岡に行ってきました。
iPhoneのGPSを頼りに、とぼとぼと夕暮れの街を歩いていたら、大きめの橋にぶつかりました。
川が醸し出す景色。
仕事やら何やらを抱え込んだまま旅に出た自分にとって、それはとてもほっとするもので。
たとえ一瞬でも、もやもやとした感情を晴らしてくれる空気が、そこにはありました。
思い返せば、盛岡の街にも川が流れていました。
冬の寒さから夏の暑さまで、川は季節ごとの景色を演出してくれていました。
街に川が流れていること。できればアップタウンに。
それが、街の文化を形成する上でとても重要なことに思えてきます。
川が生み出す空間が、街に余裕を持たせている。その“隙間”から文化が生まれるのかな、なんて。
もちろん、東京にも川は流れています。
しかし隅田川や荒川や江戸川など、その殆どはダウンタウンにあります。
アップタウンの川は殆どが実質暗きょ化され、地上の空間は埋め尽くされています。
余裕を失った空間からは、文化は生まれない気がします。
東京発の文化は、その閉塞性ゆえに生まれた(それゆえ世界的に見ればオリジナルなのでしょうが)と考えていいでしょう。
個人的に「東京は“機能都市”であり、たとえ2週間でも“機能”を麻痺させる催事(≒文化)は東京の価値をむしろ低下させる」という理由でオリンピック招致にはずっと反対なのですが、改めてその思いを強くしました。
さて本題。