« ハローワークが醸しだす“負のベクトル”に思う | トップページ | コモディティ化する社会におけるクリエイティブとは。(なんちゃって) »

2011.11.10

古い話になりますが。

初めて自分専用のパソコンを手にしたのは1995年1月のこと。Macintosh Performa575とHPのカラープリンタで20万円弱でした。まだWindowsが3.1だったり、コジマがMacを売り込んでた時期だったこともあったけど、台湾ポップスの情報を漁っている中で出会った『MacJapan Bros.』(後の『マックブロス』)を通じてMacを知っていたことが一番のキッカケかな。今の自分を構成する大きな要素である二つがこんな風に結びつく辺り、我ながら面白い人生だと思います。
最初はクラリスワークスで同人誌用の原稿を書いていた程度で、1週間くらい動かさないときもあったくらい。それが阪神淡路大地震のときにパソコン通信が役に立ったという話をTVで見て興味を持ち、モデムと通信ソフトを買ったのが同年4月頃。Nifty-Serveに入って、台湾のアイドルについてフォーラムで質問した辺りから面白くなってきて、毎日いじるようになりました。
そして97年。当時勤めていた住宅メーカーから解雇され、仕事探しをするも何がやりたいか自分でもよく分からず気ばかり焦っていたある日、広告制作会社のDTPオペレータの求人広告を見かけたのです。面接で「自宅でMac使ってます」とアピールしたのが奏功したらしく採用。思いがけず広告/印刷業界へ足を踏み入れることになりました。“Mac”という呪文を唱えたら勝手に扉が開いてくれたようなものです。こんな調子で転職できるなんて今はもう無理でしょう。本当にラッキーでした。
それから14年が経ち…最初は「初心者はMac、慣れたらWindows」とか思っていたのに、現在のMacBookProでもう6台目です(→Radius SuperMacC500→iMac350→eMac→iMacG5→)。浪費癖がついてしまったのは大きな汚点ですが、相応の色んな経験もできたし、何より“クリエイティブな気持ち”にさせてくれたことが大きかった。Windows版のPhotoshopやIllustratorをいじったこともありますが、なぜか“事務的な気持ち”になってしまうのが不思議です。何かを作れる気持ちにさせてくれる、悪く言えば万能感を(少々過剰なほど)ユーザーに与えてしまうツールがMacであり、酔いしれた勢いで清水の舞台から飛び降りて痛い思いをした人も沢山いる(自分を含めて)でしょう。でも、今も広告業界の片隅でかろうじて息をしていられるのは間違いなくMacのおかげであり、そのことには本当に感謝しているのです。

8月にスティーブ・ジョブズ氏がAppleのCEOを退任した数日後、twitterでフォローしている境治さんが関連した記事を紹介するtweetを流しました。それに対して「ウチもMacなかったらヘタすりゃ自殺してた…」とリプライ(引用RT)したところ、何と「そこまでっすか!」というレスポンスが返ってきました。ちょっと大げさだったかなぁと反省しつつも、誇張はしてても嘘ではないよなぁと思い直したりもして。そして10月6日朝。ジョブズ氏死去の一報がタイムラインに流れます。ちょうど9時少し前。もしや?と思い居間に駆け込むと、NHK「あさイチ」内のニュースのトップで報じられているところ。父が「なんでこれがトップなの?たかが会社の経営者じゃん」とボヤく横で呆然と画面を眺めていました。少し落ち着いてから(ツイートログによれば午前9時31分)自分の最初の気持ちをtweetしました。「Macに殺された人も多いだろうけど、Macで生き延びた人もいっぱいいる筈。ありがとう。本当に。」と。
なぜ“Macに殺された人も多いだろうけど〜”と書いたのか。それはジョブズ氏(やAppleが送り出したプロダクト群)が“常識や抵抗に囚われずに新しい世界を作り、多くの人を幸せ(な気持ち)にした”一方で、それによって不幸せ(な立場・身分)になった人も多く存在すると思ったからです。DTPは出版環境を激変させ、高価な写植機やそれを駆使していたオペレータを一掃しました。iPodとiTunesが曲単位での音楽購入を実現したことでパッケージソフト市場は衰退し、タワレコから街中の小さな店まで多くのレコード店が潰れました。そしてiPhoneが先導した携帯電話の高性能・高機能化はiモードを筆頭とする日本の“ケータイインターネット”に変革を迫り、iPadがタブレット/スレートPCの可能性を拡げた一方で広範なコンテンツ産業が自分たちへの影響を読みきれず戸惑っているように感じます。自分はその波に乗れたり乗り損ねたりだし、変革する現場とは言えないまでも“跡地”のような場所に立ったことは何度かあるので、そういう言葉が出てきたのです。
すると数日後、前述の境治さんがご自身のブログに「Macに救われた人生は、世界中にたっくさん存在するのだろう」というエントリをアップされました。タイトルを見て(?)と思いつつ拝見すると、冒頭に“ある人から「Macに救われました」とTweetをもらったことがある”などと書かれていて(もしや?)と思いtweetしたところ、あっさり「そうっす!」とリプライされてしまいました。Macの前で赤面(推定)です。いやそんな大仰なことじゃないんですよ、やべー仕事ねーどーしよって焦ってた時期があってそれがたまたまDTPの成長期とでも呼べるような時代で、そんなことも知らずに面接で“Mac”という呪文を唱えたら仕事が見つかってしかもそれがたまたま広告業界だったという、ラッキーの塊みたいなしょーもないエピソードなんですよ。そんなたわいもない言葉の一片を拾い上げてご自身の独立にまつわるエピソードとMacとの関わりを絡めてサクっと一文こさえちゃうのが流石プロの広告マンだよなぁ、東北の地方都市でスーパーのセールチラシの商品原稿(から)打ってたのとは段違いだなぁ、と感心することしばし。あー恥ずかしい。
そんな訳で、早くこの誤解?を解かなければと思いつつ、単発の校正仕事やら親の介護補助(もどき)やらハローワーク通いやら風邪による体調不良やらでバタバタしてるうちにジョブズ没後1ヵ月が過ぎ、ついでに44歳になってしまいました。こんな一文こさえるのに半月もかかってるのが情けない。先日、フォロワーさん“ダンサミ”なんて単語を持ちだしてきたのでついつい昔書いたエントリにリンクを張ったら、面白いんだこれが(苦笑)勢い余ってその前後のブログ読みふけるくらい引きこまれて困りました。あの頃はまだ無邪気で希望もあって想像(創造?)力にあふれてたなーって思って今と比べて情けなくなりました。人生いろいろです。後悔してはいませんが何とか時流には乗りたいなーとか思う昨今です。

« ハローワークが醸しだす“負のベクトル”に思う | トップページ | コモディティ化する社会におけるクリエイティブとは。(なんちゃって) »

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/4025/53208394

この記事へのトラックバック一覧です: 古い話になりますが。:

« ハローワークが醸しだす“負のベクトル”に思う | トップページ | コモディティ化する社会におけるクリエイティブとは。(なんちゃって) »